2011.01.03 (Mon)
【つるかめ物語 健全篇04】
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確かに俺はあの子に甘すぎるとは思う。
我ながら、惚れた弱みの奥深さに苦笑を禁じえない。
(あのようすでは、きっとまた…)
役作りはうまくいっていないんだろうな。
…というか、脚本のある仕事と違って、この監督のCMに事前の役作りを行うのは、諸刃の剣になりかねない危険性がある。下手に役作りをすれば、それに縛られてバリエーションを演じることや相手役との掛け合いに支障が出る。今のあの子には、瞬時にパターンを変えた演じ分けが可能なほどの作り込みを行える力はない。その危険性を本能的に感じ取っての無為なのだろう。
あの子は決して愚かではないし、怠惰でもない。
ただ、本人がそういう自分の勘働きを認識していない分も含め、相当に未熟ではあるのだ。
プロである以上、未熟であるという事は許されない。
しかし…。
俺は、自身の女性マネージャーと打ち合わせをしている彼女の幼馴染の秀麗な姿に目をやった。
その姿を見せ、声をかけるだけで、彼女を思うさま惑わす事のできる存在。
俺には決して見せないあけすけな顔を見せる存在。
おそらく彼女の人生の中で、幼い頃から今に至るまで常にどんな意味でも唯一の『特別』な存在。
…それを思うと、嫉妬で焼け焦げそうになる。
そもそもあの子は、自らプロたらんと望んでこの世界に足を踏み入れたわけじゃない。
この男に復讐するためという、甚だ不謹慎で迂遠な衝動でもってはじめたわけで。
スタートラインがずっと後方なのは、ある意味仕方のないことなのだと思う。
それを知った当初はあきれもしたし、不快にもさせられたけれど、今のあの子は演技することが唯一の自己形成の手段だと言う。そしてそれを俺は信じた。だからこそ…。
ふっと、不破が俺を見た。
俺の、彼女に対する気持ちを知りながら、自分が絶対的な優位にあることを心得た高慢な目をして。
「そんじゃま、シーン2の出会い篇いってみようか!」
監督の声に野太い返事を返し、スタッフがわらわらと各自の持ち場に散る。
「どっちから行くかな…やっぱ『鶴』か?」
「監督、先に『亀』からお願い出来ませんか」
進み出ると、背後で不破が少しだけ気色ばむのを感じた。それに、真っ向から向き合う。有無を言わせない…そんな覚悟だった。
(…キミが幼馴染という立場をフルに使って彼女をゆさぶるのなら、俺は役者としての力量でもってその挑戦にこたえよう)
声に出さずにそう告げる。
宣戦布告だった。
***
大海原を望む砂浜のセットの中で、これ以上ないというほど小さく縮こまった最上さんが俯いていた。
「最上さん」
声をかけると、びくりと肩がふるえる。
俺が、今のきみにしてあげられることを全部してあげるから。そんなふうに萎縮しないで、君の中の秘めた野獣を目覚めさせるといい。
そしてふたりで、ふたりにしか出来ない世界を作ろう?
「君がまた忘れている、大事なことを思い出してご覧?」
衣装を整えてくれたスタイリストが下がるのに手を上げて礼を言い、そっと砂の上に座る少女の目線に腰を落とす。普段見ることのない少年ぶりの姿がほんのりと色気を浮かべて、俺の胸を衝いた。
「ここにいるのは敦賀蓮であって敦賀蓮ではなく、そこにいるのは最上キョーコであって最上キョーコではない…そうだね?」
上目遣いの大きな瞳が俺を捉えてかすかに潤む。
この目だけで反則ではあるな、と不埒な意識が頭を掠めた。
「それと同じに、あの姿の不破君が、不破尚であって不破尚ではない…ということは、君はとっくにわかっているんだよ?」
(………そうでしょうか…?)
俺は安心させるように、笑いかけた。
手を伸ばし、人差し指を顎にかけて、上を向かす。
「…もっと自信をお持ち、与太郎?」
ひとつ目を瞑り、半眼をひらめかせ、下目使いに見つめると、最上さんはぴきっと音をたてて固まった。両頬をとって、さらに顔を近づけると、真っ赤になって手足をばたつかせる。
「さあ、俺を乙姫さまとお呼び」
敦賀さん、と呼びかけそうな口の形をさえぎって、息のかかるくらい近づいた位置で囁く。
「おとひ…め」
「そうだ、与太郎?」
どんな世界を作ろうか。この監督の放任は、俺たちの好きに踊っていいという容認のあかしだ。
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