2011.01.05 (Wed)
【つるかめ物語 邪ま篇02】
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浜辺の喧騒を眼下に眺める草むらで、小さな子どもが膝を抱えて泣いていた。
(ああ、あれは、おらだ)
与太郎は夢の中で自分の幼い頃をみていた。
誰も遊んでくれなかった昔。
村の大人は自分を畏れ、同じ年頃のこどもはみな、与太郎を見ると石を投げた。大人たちの排斥の目は、こどもたちの中に如実に反映されたのだ。
浜辺で仲良く遊ぶ村の子たちを見つめながら、ひとりぼっちがさみしくて与太郎は声を立てずに泣いた。
投げられた石に傷つけられ、額に血を滲ませて泣く与太郎の足元に、赤子の頃からそばにいる亀のレンがのそのそと寄ってくる。
レンは、与太郎の背中をよじ登り、器用に頭を這い上がって、そこで落ち着いた。
トン、トン、と口で頭の天辺をつつくのに、いつしか与太郎の涙が止まる。
両手で頭の上のレンを掴んで眼前にかざすと、亀は首をひねってぱくり、と空を噛んだ。
それが、めそめそ泣くのを叱られているようで、与太郎はレンの仕種にいつも慰められるのだった。
(そう、おらにはレンがいる。だから、おらはひとりでも平気だ…)
レンがいる…レンがいる。
だから、平気だ。
レンがいるから…。
「レンッ」
与太郎は、がばりと跳ね起きた。
いつの間にか、うたた寝をしていたらしい。
眠り込んだ土間の周囲を見回しても、大事な亀の姿はなかった。
一昨日の昼、朝漁を終えて小屋に帰ってきた時には、その姿は見えなくなっていた。
死に物狂いで探して、見つからず、疲れ果てて小屋に戻り、倒れるように眠って…。目覚めてもまだその姿はない。
「レンッ」
与太郎は、菰をかきあげて外に飛び出した。
***
「よう、与太郎」
波打ち際に立ち尽くし、途方にくれて太陽を映す海を見ていた与太郎の背後から、村長【ルビ『村長』→むらおさ】の息子とそのとりまきが声をかけた。
与太郎が十二の年を数えたあたりから、大人たちの思いや態度とは裏腹に、村の少年たちの間に必要以上に与太郎に興味を抱くものが出てきていた。
与太郎は、まだこどもで、粗末な着物に身をやつしてはいたが、すらりとのびた華奢な手足や、潮焼けしないなめらかな肌、無造作に束ねたつややかな黒髪には、村のどの娘よりも美しくなる萌芽があった。
そして何より与太郎には、彼女を庇護すべき大人がおらず、どのように扱おうともどこからも苦情が出ないであろうという、怪しからぬたくらみを持つ輩たちにとっては後腐れのないおいしさがあったのだ。
「亀がいなくなったんだってなあ?」
にやにやと笑うのに、与太郎は不穏なものを感じて一歩下がった。
「いっしょに探してやるよ、舟置き場のほうで見たってやつがいるぜ」
「……いい」
本能的に踵をかえして逃げようとするのへ、少年の一人が立ち塞がった。
「遠慮するない」
「なあ、与太郎」
何れも与太郎よりも頭一つ以上大きな少年たちだった。村長の威を借りた尊大な物腰は、少年らしいのびやかさを失わせ、ひたすらに下卑た印象を与える。彼は、砂に向かってペッと唾を吐いて、口元を笑いの形にゆがめた。
「おまえが今後おれらの好きなときに好きなだけ言うなりになるのだったら、亀を返してやってもいいぞ」
与太郎は、はっと目を見開いた。
「おまえらが、レンを…?」
気色ばむ与太郎の前に、紐でぐるぐる巻きに吊るされた亀がぶら下げられた。
「レンッ」
「甲羅焼きにして食ってもいいんだがなぁ、こんなんでもおまえには大事な家族なんだって?」
少年たちは笑いながら与太郎の頭越しに亀を放り投げ、甚振った。【ルビ『甚振った』→いたぶった】投げられて短い手足でのそのそ空を掻く亀を必死に見つめ、右往左往する与太郎が泣き声をあげる。
「やめて、やめてくれ、レンに酷いことしないでくれ、言うとおりにする、言うとおりにする、だから」
それを聞くと、少年たちは口々に囃し立て、笑った。手近にいた一人が後ろから与太郎の腕をとり、捕まえる。
少年たちの、興奮した異常な様子が、与太郎を怯えさせた。
「俺が一番槍だからな」
満足そうに言う村長の息子に、少年たちは口笛を吹いた。
「じゃあ俺が二番だ」
「佐兵衛の一番槍のほかは、順番なんかあとだ、どこでする」
「こいつの小屋でよかんべえ、あそこなら誰も近寄らねえ」
「よし、連れてけ…と、その前に」
言うなり、与太郎を捕まえていた少年がうしろから少女の胸の合わせ目を大きく開いた。
「――――!!」
与太郎が叫ぶのに、うしろから口を塞ぐ。
下卑た笑い声がわいた。
「乳、ちっせえなー!」
「なに、おれらで揉みまくりゃそのうちでかくなるさ」
「たっぷり可愛がってヤッから楽しみにしとけよ!」
(やだ、やだ、いやだ――――――)
ようやく、少年たちの意図を察した与太郎は、もがいた。
しかしそれも「おまえが逃げたら亀は甲羅焼きになるんだぜ?」の一言に萎える。
与太郎は、こらえてもこらえきれない嗚咽をもらした。
その時。
「餓鬼めら、いい加減にしておけ」
ぽかり、と、開いた亀の口から、人の言葉が発せられた。
悪さを見つけられてかたまった少年たちは、誰も亀が喋ったとは思わず「誰だ、何処だ」とうろたえながらあたりを見回す。
「俺だ」
亀のレンが捕まえられた手の中で身じろぎすると、掴んでいた少年はわあ、と叫んでレンを放り投げた。
亀が器用に空中をクルリと一回転すると、ぼむ、と煙が湧いた。
それを見て少年たちは腰を抜かしてへたり込んだ。
煙が晴れたとき、そこに現れたのは、異常なる美貌であった。
「………レン」
レンと呼ばれたそのひとは、半裸に剥かれた与太郎をちらりと下目使いに見て、不快そうに眉を寄せた。
わずかに引き結んだ唇が、癇性にひくつくこめかみが、その目の瞋恚【ルビ『瞋恚』→しんい】を見るまでもなく怒りの深さを窺わせる。
レンが面倒そうに片手を上に向けてかろく振ると、与太郎の体が宙に浮いて、レンの方に引き寄せられた。
レンは、黒真珠の粉で磨き上げたように光る見事な上衣を脱いで、それで与太郎をくるみ、縋るように自分を見つめる姿にむかってフン、と鼻を鳴らした。
その手つきはどこかぞんざいでもあり、むしろそうした自分の行為に不満を抱いているようでもあった。
しかし、そうした見かけとは裏腹に、レンの与太郎を抱きしめる手には、いたわりとやさしさが満ちていた。
むしろレンは、与太郎に対していたわりとやさしさをあらわしてしまうことを怒っているようであった。
「村餓鬼ども」
レンは、厳かな声で言った。
「おまえらは村の大人どものいう事を、親のいう事をもっとよく聞かねばならん。与太郎が忌み子であり、実質村八分になっておるのは、おまえたちの慰み者とするためではなく、それに都合のいいことでもない、むしろ逆である。…聞いておらぬはずはないな、その昔、この村の人間どもは、長雨のあまやらいに与太郎とその母を俺に捧げた。俺はそれを受け取って、雨を止めたのだ」
そして、彼は言葉を切り、値踏みをするように少年たちを眺めた。
「そのことの意味がわかるか。神の贄を汚すたわけものども」
美貌の神が、ガッと一喝すると、少年たちは短い悲鳴を残し、紫の煙を上げて子亀に変じた。
夫々【ルビ『夫々』→それぞれ】の甲羅に夫々が着ていた着物の柄が浮かんでいる。
あるものは裏返しになったまま哀れに手足をばたつかせ、あるものは甲羅の中にひっこんで、震えていた。
「そのまま鳥に食われてしまえ」
レンは本性を曝け出すように残酷に笑った。
与太郎を抱き上げたまま、踵を返してその場を後にする。
懐の中から、与太郎が慌てた声をあげた。
「レン、レン」
「なんだ馴れ馴れしい。乙姫さまと呼べ」
乙姫はチッと舌打ちをして懐の人間に目を落とした。
「乙姫さま…?」
「おうよ、黒龍王龍宮乙姫とは俺のことよ。以後見知りおけ」
はた、と視線が絡み合う。二人の間に意味ありげな沈黙が落ちた。
先に我にかえった与太郎が、少年たちへのとりなしを願い出る。
「………おまえは、バカだろう」
乙姫は忌々しそうに片眉をあげた。
「だども、あのままだったら佐兵衛たちは死んじまうかもしんねえ、したら、村長も、おいちゃんもおばちゃんもみんな悲しむよ」
「………おまえは、バカだ」
与太郎は、あきれた乙姫に断定され、その懐の中でうつむいてしまった。
それをつくづくと見下ろして、乙姫は小さくため息をついた。
自分から親を奪った村人と、自分を陥れ、辱めようとした少年ら。本来であれば憎んでもあまりあるだろう存在へのとりなしが、与太郎が渇望するものの大きさを乙姫に知らせる。
そして、神は腕の中の重さを実感した。
…大きくなった。
じんわりと胸に点る感慨。
腕の中でぎゃあぎゃあと泣いていた赤子が、あっというまに。
乙姫が砂の上にもがく子亀たちに向かって一瞥をくれると、子亀たちは再び紫の煙を上げて元の人間の姿に戻った。
「次は殺す。いや、村ごと海に沈めてやる。覚えておけ」
ぶっそうな脅し文句を吐き捨てると、少年たちは悲鳴を上げて逃げ去った。
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