2011.01.05 (Wed)
【つるかめ物語 邪ま篇04】
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その日から、亀のレンは消え、キョーコの小屋にひとりの美丈夫が少女と共に暮らすようになった。
長い黒髪を後ろに束ねた、鄙には稀な美貌のその人は、沖合いでしか獲れないような大魚を背負い、村はずれへの道をキョーコと歩いた。
すると、村の中に、あれは何処のものだ、という不穏なざわめきが湧き起こった。
「…小娘の癖に、男を咥え込むとはのう…」
「あれは男なんかの? 何やら女のようにも見えるが」
「あんなでっかい女があるものか、おまえの目は節穴か」
「それをいうならあんなこわいような別嬪な男があってなるものかいな」
「えいやかましい、静まらんかい」
その母の死から、敬して遠ざけつつも少女の成長を見守ってきた村長【ルビ『村長』→むらおさ】
をはじめとする村の長老達は、思わぬ事態に頭を抱えた。
「なんとなりゃ、贄の立場をわきまえさせなんだわしらの所為でもあるのう…」
白い髭を扱きながら、苦渋を滲ませて一の長老が言うと、三の婆が憤懣やるかたないように吐き捨てた。
「そういう事を含めて占い婆に面倒を任せたに、頼むに足りんおひとじゃったということよ」
「ともあれ、海神の主さまの怒りを買わぬうちに引き離すか、さもなくば…」
「…………」
「……さもなくば、か…」
その後に続く言葉を飲み込んだ人々は、皆、苦虫を噛み潰したような表情をして、互いに顔を見合わせた。
***
「おまえは本当に独楽鼠【ルビ『独楽鼠』→こまねずみ】
のように働く」
蓮は、しどけなく座り込んだまま囲炉裏端の大黒柱に凭【ルビ『凭』→もた】れ、立てた片膝に二の腕の乗せて頬杖をつき、縁側で釣竿の手入れをするキョーコに言った。
からかうような声音とは別に、目には愛しさが溢れている。
「俺が餌を運んできてやっているのだから、少しは怠けろ」
「随分楽さしてもらってるだよー」
言う間もキョーコは、山で刈ってきた柴をまとめたり、蓮が獲ってきた魚を天日干ししたものの具合を見たり、ちょこまかと忙しない。
その姿には蓮の言う通り、小さなネズミのような愛らしさがあった。
ふと、蓮が小屋の入り口の向こうに視線を移した。
何ものか達がざわざわとやってくる気配がある。ほどなくして、菰【ルビ『菰』→こも】をくぐって姿を現したのは、村長とその取り巻きであった。
「お邪魔をするわいな」
「村長さま」
あわてたキョーコが土間に下りると、村長は鷹揚に手を上げてそれをとどめた。
「よい、よい」
そのまま、上がり框【ルビ『框』→かまち】に腰をかけ、首をかしげてキョーコを見ると、村長は少し咳払いをした。
「今日まかりこしたはちと与太郎に聞きたいことがあってのことじゃ」
「はい」
素直な大きな目の無邪気さが、村長の心をちくりと刺した。少女の母、カナエは村長の知るところであって、少女はその母に良く似ていた。
何となく目を逸らした村長は、囲炉裏端にいる問題の人物を見た。
切れ長の眼を半閉じにしたほの昏い美貌がそこにあった。薄い唇をゆがめて、村長を正面から見据えている。長い睫が陰影を落としたなかには、どこかこの世の理の外にある者の無機質な残酷さが垣間見えて、知らず、人々を怯えさせた。
のまれたように視線を外せずに居る村長に向かって、蓮は嗤って見せた。
「…おまえは知っているぞ」
「………」
「キョーコの母を追い詰めた先頭にいたな」
すらりと立ち上がると、音もなく近づき、村長を覗き込む。深淵が村長をおし包んだ。
「キョーコ…とは?」
「おまえたちが与太郎と呼ぶその娘の事だ。既に忌み名は不要ゆえ俺が名づけた」
「…なにを言う、おまえ」
同行した村人のひとりが、異様な雰囲気にのまれながらも居丈高に進み出た。
それへ一瞥もくれず、うるさそうに手を伸ばすと、蓮はその男の咽喉を掴んで軽く押した。
男は、小屋の外にはじき出されて昏倒した。
悲鳴があがる。
「贄に虫がついたとの注進ですっとんで来たか。此度は不要な心遣いであるが、海神【ルビ『海神』→『わだつみ』】への信心深くて結構な事だ。これからもそうあらまほしいところである。励めよ」
ぐっと覗き込む目の不穏に、村長はごくりと咽喉をならした。
その時、ばたばたと駆けてくる何ものかの騒がしい気配が、緊迫した小屋の中に飛び込んできた。
「親父、おやじっ」
こけつまろびつして、父親に取りすがったのは、果たしてキョーコを襲った佐兵衛だった。
村長は、息子から何事かを耳打ちされると、見る見るうちに蒼白となった。目の玉が血走って、飛び出さんほどに見開かれる。
彼は、おそるおそる蓮のほうを振り返った。
「怯えるな、われこそ黒龍王龍宮乙姫。そなたらがキョーコとその母をささげた海神【ルビ『海神』→『わだつみ』】の一柱である。そのいじましい忠誠に免じてこたびの無礼を特別に許そう」
蓮が笑うと、村の方から大きなどよめきと金切り声があがった。
何事かと菰をあげ、慌てて外に出た一同が、海に立つ竜巻を見る。それは海中の魚を天空に舞い上げ、傷ひとつつけずに浜辺に舞い落とした。
その、不可思議で美しい情景に、一同は蓮を振り仰ぐ。
「キョーコを俺に捧げた褒美だ、伏して受け取れ」
剛毅な蓮が哂うと、一同はばたばたと膝を折り、地に頭を擦り付けるように平伏した。
***
夜。ふさぎこんだキョーコに、蓮はどうした、と聞いた。ちいさくかぶりをふるのに、重ねて問う蓮に、キョーコは神さまはなんで生贄を求めるのか、と囁いた。
「別に、生贄などはいらん」
案に相違して冷たく言い放つ蓮に、キョーコは珍しく気色ばんだ。
「なら、なぜっ…」
「勘違いするでないよ、キョーコ」
俺が生贄を受け取ったのは、気まぐれである…と蓮は言った。
「俺は捧げものを受け取る気などさらさらなかったのだ。このようなチンケな村、海に沈もうが干上がって枯れようが本来興味はない。だが、おまえの母が俺を見つけて、無理にその身を俺に捧げた」
うつむいて上目遣いで蓮を窺うキョーコは、首をかしげた。蓮はそれへうなづきかけると、言い聞かすように一語一語はっきりと言った。
「俺が受け取った生贄はおまえの母で、おまえの母の願いはおまえの命を救うことであった」
「村人の願いは、まあ、序で【ルビ『序で』→ついで】に聞いてやったまでだ」
(おっかさま…)
キョーコはぽろぽろと涙をこぼした。
「………生贄というのは価値あるもののことだ」
蓮が静かに囁いた。
「捧げるものどもの、真からかけがえのないものでなくてはならぬ」
「だから俺はおまえの母とおまえを受け取った」
キョーコは、そっと涙をぬぐって、蓮の不器用な慰めらしきものを聞いていた。
村人の真実はどうであれ、この人外のものにとっては、母と己の存在がその心を動かすに値したのだ…と。
「…ごめん…」
いまさら誰かを恨み、誰かを呪うこともできず。
孤独を分かち合ったふたつの魂は、互いに強く結びついた。
ふたりは、村人に見守られる中、たがいを慈しみあって仲睦まじく暮らした。
―――そして、キョーコはある日、鶴の化身の少年に出逢った。
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